たびのいろいろ

ボクは会社員時代よく旅に出た。旅にはいろいろな形があった。
例えば何かイベントがあり、そこでイベントを楽しみながら時間を過ごすたび。
具体的にいうと「瀬戸内芸術祭」や地方各地で行われる「お祭り」なんかが
それにあたると思う。おいしいものを食べに行く旅。海外に
旅に行くこともある。仕事のついでに週末を利用して気になる場所に
足を延ばす旅もある。



目的が帰ること、という「旅」のかたち

ある時期から目的なく旅をするようになった。会社員勤めであった時期なので
リフレッシュという「ふわっとした」理由で旅に出る。旅の途中に非日常を味わい、
いつの間にか日常に帰りたい、というなんとも言えない気持ちにさせる「旅」の形。
これは海外のよくわからない場所に行った時も同じような気持ちになる。
少し抽象的になったが、これはどういう旅かというと、飛行機でどこか遠くに行き
帰りはJRの乗車券だけ買って思うがままに電車に乗って帰る旅。
とかいいながら実際は途中途中どこで泊まるか事前に予約はしていたけれど。

切符画像

途中の移動はJRで特急に乗車したり、ローカル線でゆっくり車窓をみながら
ぼんやり時間を過ごしたりする。どちらかと言うとローカル線で
ゆっくり車窓を見ながら、なにかいろいろ頭の片隅に溜まっていたものを
引き出すような感じ。例えて言うと、隅のほうに押し込まれているものを
「これなんだたっけ」と確認しながら、また奥のほうにしまい込んだりする
ような感じ。要は時間を贅沢(ある種無駄)に使う過ごし方。
この過ごし方は、非日常の空間を見ながら、電車(自分)は前に、
そしてあまり早くない速度でゆっくり流れてくれるので精神衛生的にとてもいい。
ぐだぐだしながらも先に進んでいる「錯覚」を感じる。
そして背景にあるローカルな風景は目にも心にも優しく感じられる。

車窓の風景


ローカルに軸足を移してから

ローカルな風景

生活の軸足を地方、ローカルに移してしまうと今まで行っていた旅の形は
あまり必要なくなった。「なんでだろう」、と考えたら2つくらい答えらしきものが
見つかった。
そのうちの1つ目は、そもそも仕事上のストレスがなくなりリフレッシュを意識
する必要がなくなったこと。
もう1つは日常が「田舎暮らし」なのでその反対の非日常が「都会」で時間を過ごすこと
になってしまったこと。ただ都会に行くことは自分の中で旅にはならない。
なぜならボクは都会にいる時間のほう長かったので、旅というより
見慣れた風景、になってしまう。

都会を離れてからか、サラリーマンをやめたからか理由はわからないけれど
過去に感じていた「日常から離れることを意識的に時間もお金も使う」ということを
あまり考える必要がなくなったからなのだろう。

それと立場が変わり自分がどこか「旅先を選ぶ」というより、住んでいるところにどうやって
人を呼び込む「旅」をしてもらうことを考えるようになったからかもしれない。



結局何回も旅したところは

自分が「旅先を選ぶ」立場から、誰かに旅してもらう「旅先側(もてなす)」の
立場、両方味わた自分が、「何回も旅したところ」を理由も含め考えてみた。
この理由はいくらかある。
・自分が何回も食べたくなるような食べ物とお酒がある場所。
・うまく説明できないが落ち着くところ。
・結局人に会いにいく、
こんな具合だ。

旅先の食事


ローカル人として提案したい旅

旅について思い浮かぶままにいろいろ書きましたが結びとして
1つの旅を提案させていただきたいと思います。

それは作業と祭りをあわせてひととの交流も可能になる「たび」のかたち
具体的には農産物や水産物の収穫作業を行い、夜は毎晩宴会になるような旅だ。
よくワインの映画などで描かれているやつである。

人間、理由じみたものがあるほうが人と関わりやすいと思う。
その理由がしごと、というか作業であるといい。また作業工程は単純であれば
なおさらいい。特に体を使うようなことであれば食事はおいしくなる。
また作業を行うのであれば、地元の方はお客さま扱いせず、必要な存在として
関わってくれる。体を使った後で飲むお酒はうまい!
お酒もうまいし、よほどのことでもない限り食べるご飯もおいしいはず。

ワーケションもいいけれど、このような旅もいいのでは、と。
今後の「やりたいことリスト」に追加しておこう。

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